子どもたちの読書量は極端に少ない。

子どもをどう教えるか扱いにくい

そこでようやく私は、母の子育てがまだ続いていることに気がついたのでした。二児の母になっても私はまだまだ修業中なのだと。そして子育ては親育てでもあり、それは永遠114冗愛情だけでなく、自分の道は自分で決められるように強く育ててくれた母のお陰で、私は悩むことの多い子育てを心から楽しむことができています。もちろん失敗の連続ですがこれも修業!と明るく乗り切っている毎日です。

自然に身につく数々のしつけ

あいさつは普段の流れで-·あいさつが苦手だった私幼児のしつけの第一は、あいさつでしょう。
実はかくいう私が、あいさつの苦手な幼児期を過ごしたので、こだわっていたのです。
考えてみると、親がボクをこだわらせてしまっていたのですよ母親が
さあ、今よ、ホラ今だよ。
周りの子は、走って来るとすぐに今じゃないかと、目くばせするんです。
おはようって声を上げるんです。ヨッちゃんもキョウスケもとても元気に。
いじいじと、声が出ないのはボクだけなんです。
母親がそんなボクの脇腹をつつくのです、早く言えって。あるいは、じっと顔を上からのぞき込んで、
なぜおまえだけ、おはようの一言ぐらいが口に出せないの?
って。いぶかしげに。残念そうに。いらだち気味でその目におされてだから言えないよぉと、すよよけいに言えなくなっちやうんじゃないか
と。
子育ての仕方と彼らの性格を比べてみた。

子どもの周りにあふれた魅力あるものと対峙
子どもの周りにあふれた魅力あるものと対峙
母の学歴とは関係ないのである。
母の学歴とは関係ないのである。


小学校へ入ったばかりの一年生が何人かいっしょ

子どもらしい活動

いつもボクは心の内でわめいていたんで子ども自身の切ない心理そういう時、子どもを意識過剰にさせちゃあだめなんです。頭をカッカとさせないことですよ。
あっ、言えなさそうだと気づいたら、そんなことなど気づかないふりをしてさりげなくおはようおはようって、親が素朴にみんなに応じていればよいのです。それも、子にこれ見よがしに聞かせようなどと力まないで、気持ちよく自然に。
ところがこういう時、気になって力んだ大人は、えてして逆を行くのです。つまり、あとで親が子を咎めがちなんですね。
「今朝も、母さんは恥ずかしかったよ。みんながおはよう、おはようって元気にあいさつしてんのに、ケンタ、なんでおまえだけ何も言わないでモジモジしていたの?

子どもとともに生活していて楽しい雰囲気を作り出す

子どものほうが親の大きひとこと言ってしまえば、すむことじゃないの?えぇっ?分かった?あしたはちゃんと言える?返事は?どう?」
とが子どもは仕方なく首をかすかにタテに振って、声なく、うなずきます。
ああ、こういう時の子ども自身の切ない思い。分かります。翌朝はもっと意識過剰で言えないものなんです。
たとえ気にはなっていても、それを表情や身ぶりに出さないで、そんなことは少しも気にしてないという態度で、子どもの肩に暖かく手を添えてやって何気なく親自身がおはようおはようと周りの子どものあいさつに対応している。
子どものしている子どもは性に対して何の先入観もない親のそんな何気ない暖かさで子どもはずいぶん救われるものです。
なんとなく身を守ってくれているという実感があれば、子どももその場の雰囲気に慣れてくるものです。そして、本人も気づかないうちにおはようと口の中で小声で言っているのです。子ども自身がまるで気づかないうちにです。
そんなものなのですよ、実は。あいさつなんて、その場のノリでつい口に出てしまうものなのですね。これを書きながら
ああ、わが親も初心者だったのだと私は思います。
しつづけることで身につく子どもがつい口から出たおはよう
という自分のことばに気づいて、思わずあっ、
言えた
と驚きの表情で自分の口元に手をやるなど、親としてはたとえその様子に気づいても、ふふふ、それがもともとのおまえ自身なのよとでもいうように、当たり前のさわやかな表情を返してやる。

母親が百点満点をこどもに要求してはいけない。

それでいいのです。
そういう何気ない暖かさで親が見守ってくれていれば、な声でも元気よくはずんだものになるのです。
もっと大きな声で!
次のおはよう
はたとえ小さそう言われちやうと、慣れないことの恥ずかしさに体がすくんで、何も言えなくなってしまいますが、自然とほどけた時には、知らず知らずのうちに、出す声の調子が元気よくはずんだものになっているのです。
しつけるとは、しつづけることですね。知らず知らずに回を重ねると、それが習慣になってゆく。しつづけると、関西弁で言うしィつける状態になり、つまりそれが、
しつけとして実るのです。
しつけというと、こうしなきゃいけないと決まった型を繰り返し押しつける、強制するといった意味合いに受けとられがちです。そうすることで教えられた通りの型が身につけばそれでいいようなものの、逆に、言われるたびに反発を感じる子どもにとっては、なんと反発する習慣こそがしっかり身についてしまいます。
しつけが身につけばよい子、反発するしつけが身につけば悪い子のレッテルが貼られ悪い子と言われるのに慣れてしまうと、ひがむのもすねるのも当たり前というふうになります。
子育ての態度が辛口なのです。


しつけもまた問題になりましょう。

母親に愛されている実感を感じられるようになればああ、この子はダメねと言われ慣れて、ボク自身もますますくすんだ子になってしまったんです。わが親も、知らず知らず力んでいたのですね。「しつけって何かを基本から検討しなおさなければならない、と私は思うのです。
いつのまにか、ずっと昔のまだ若かったわが母親に、まるでさとすように話しかけている感じになってしまいました。八十八歳で十数年前に大往生した母親も、その昔は母親初心者で一生懸命だったのでしょう。その息子が、六十過ぎて、複雑な思いです。
でも、母さん、咎めてるんじゃあないんだ。あのボクが、今これを書いてるんだよ」
きょうだいはいろいろ違う私の場合は、二人いた兄がそれぞれ私とはまったく違ったのです。
長兄は大まじめ人間で問題なし。
次兄は対照的でしたね。
次兄はいつでも誰かとじゃれあっている子で、あいさつなんて、それこそ誰に対しても大きな声で気楽にくつろいで言えるのです。おはようこんにちはって。
きょうだいのタイプが違う場合、親は、「お兄ちゃんはあんなふうに元気にあいさつできるのに、どうしておまえはダメなのッ」