子供は自分がこうすれば

子供は退屈なだけかも知れません。

母親は授乳やおむつの世話はしても、しっけの責任者ではなく、子どもたちは自然の厳しさに揉まれて育ち、奉公先でしつけ·教育を受けて社会人となっていったのです。放任型の親は、子どもにうるさがられることもぁりませんから、ときおりの受容だけが温かく思い出されるもの。戦前の日本の母親のイメージがうかんできます。
しかし、急激な社会変化で子育ての責任は母親の肩に背負わされるようになるとともに子どもたちの育つ環境もすっかり変わってしまいました。母子密着に陥りやすい現代では放任型の子育てのよい面にとかく目が行きますが、豊かな社会のなかでの放任は子どもを野放図に育ててしまわないよう、十分な注意が必要です。

  • 教育方針をお決めになって
  • 子どもだって自分のメンツがこわれないよう
  • 伸ばすと思います。

母さんは食器を戸棚にきちん放任型の代表は、子どもをどのように育てたいか、自分自身の考えを持っていないために、子どもの生活に無頓着なお母さん。おおらかでのんきなのはいいけれど、子どもの
生活環境を整えようという気はさらさらなく、大人の生活に巻き込んでいくので、夜更かしは当たり前、食べるものはスナック菓子やインスタント食品。明るく楽しそうな家庭ですが、成りゆき任せの無責任では健康な生活は望めません。
子どもたちは親と仲のよい友だちのようですし、少なくとも神経質に悩む大人にはならないでしょう。しかし、この社会のなかで自分を律して生きていく力をつけるには、生活リズムや食生活に最低限の気配りが必要だと、親は認識するべきです。
また、新しいタイプの放任型のお母さんもいます。子供はベストを尽くしているのです。

 

しつけの問題だと言われてしまえば

まだまだ娘気分が強く、を育てることについても自分自身の生き方についても深く考えたことのないまま、を産み、子育ては自分の母親に任せきっているケースです子ども子ども結婚しても子どもを産んでさえも、両親に甘え、独身気分のまま買い物を楽しんだり友だちと会ったりするなんて、一昔前なら非難の的となったことでしょう。しかし、老後は息子夫婦よりも実の娘のそばで暮らしたい、と言う人も多くなってきました。今や、元気いっぱいで、他にこれといった生きがいもなくエネルギーをもて余している祖母世代がかいがいしく孫育てを楽しんでいる場合も珍しくないのです育児の主体がおばあちゃんにとって代わられたので、お母さん自身は子どもをペットのように、自分の都合にあわせて可愛がっていればすんでしまうのですが、ここから、新しい形のバアちゃん育ちの子が育っていくに違いありません。
教育の一つのありようはというとまず私
子どもはいつの間にか育って
そしてまた、依存していた自分の親を頼ることのできない日が突然訪れたとき、若いお母さんが子どもを抱えて右往左往、という例も見かけます。何でもやってくれるからと放任していると、いざというときがおそろしいと心にとめておきましょう。
一方、同じ放任とは言っても、あまりにも忙しく働いているために、かけることができないお母さんもいます。
子どもに手を朝は戦争のような騒ぎで子どもをせきたて、保育園に連れていく。帰りも電車に飛び乗ってお迎えにかけつけ、大急ぎで買い物、食事の支度、夕食、お風呂と夜は夜で時間との闘い。

 

母さんがほめてくれる

あわただしい毎日のなかではしつけなど考える暇もなく、子どもはいつの間にか育ってしまった、というのがこのタイプのお母さんの実感でしょう。
しかし、こうしたお母さんたちは手をかけすぎて子どもをダメにしてしまう心配はありません。それどころか子どもたちは、忙しい母親の背中を目にし、保育園で揉まれながら何でも一人でやらなければならないことを覚えて、たいていたくましく育っていくようです子どもと過ごす時間の少なさを埋めあわせようと、ついつい物やお金を与えてしまうお母さんもなかにはいますが、時間は短くても子どもの心を育てる母子関係をつくることはできます。

教育がないという話になったそうです。

負い目を感じることはないのです母親のなかには、あえて放任型の子育てを選んだほうがよいという場合も少なくありません。家事·育児では満たされないタイプの人たちです。
活動的で、他人のなかで忙しく働いているときこそ活き活きしている女性が、無理して子育てを優先させるのは、必ずしも子どものためによいことではありません。家事以外にしたいことのある人、バイタリティ-あふれる人を、家のなかに閉じ込めるのは、火山にふたをするようなもの。はけぐちのないエネルギーは子どもに向かい、果ては自分に向かい、悲惨な結末を迎えることになりかねません。
自分のやりたいことをあきらめて、あるいは家事や人の世話をするのが好きではないの
に、家事·育児に専念する生活をしていると、感情がいらだって、叱らなくていいことでも子どもを叱りつけてしまうようになります。


子供はベストを尽くしているのです。 成長したのでした。 母親の存在は非常に大きなものと言えるのです。

学校体制では詰め込み主義

子供の数よりはるかに多いのです

わが子のためなら何でもしてやりたいと思うお母さんにとってラクなことではありませんが、時には要求に応じないことも必要なのです泣いても思うようにいかないこともあるという経験や、
にんが嬉しそうに抱きしめてくれたという経験をしている赤ちゃんは、何かにつけて泣いこしていたら、お母さ
て抵抗する子どもにはなりません。
赤ちゃん時代に赤ちゃんを愛しているが必要以上に甘やかさない親子関係をつくっておけば、
ちゃんと親の話を聞く子どもを育てるのは難しくありません。
最初が肝心
手遅れはない
とはいえ、基盤がきちんとできていれ子育てにば、親子関係は楽しく展開していくのです。
子供は自分がこうすれば

学校の原因別の欠席状況を見てみましょう。

母の思いがこもってそのことが嬉しいはずだ。

やはり
第一反抗期をどう切り抜けるかヤダヤダ

お母さんキライ11歳過ぎから三歳くらいにかけて、それまでよくお母さんの言うことをきき、育てやすいと言われていた子どもでも、ことあるごとに
ヤダ!キライ!を連発するようになることが多いものです。この時期は第一反抗期と呼ばれています思春期の劇的な変化と比べると、第一反抗期はそれほどはっきりと変化が出るとも限らず、なかにはそんな時期はなかったという子どももままあります。

ついこの間まで私の言うことをよくきいて、でも、たのに、今は何を言ってもイヤお母さん、本当に多いですね。


幼稚園に上がる前は家庭の中でかなり注意深く
幼稚園に上がる前は家庭の中でかなり注意深く

子供を鋳型にはめ込むのではなく

母はわたしの顔さえ見れば手が汚い髪の毛が長いツメこうしようねこっちがイヤになっちゃ3と言えばやっていなんだから。
そんな自分でやりたい子どもがヤダーキライ!と言って親に反抗するのは、自分でやりたいという気持ちが芽生えてきたということのあらわれです。いわば自立心の第一歩ですからこれは親としては喜びこそすれ、うっとうしがってはいけないはず。
ところが実際は、赤ちゃんの時期は、母親にとってはこれがかなりうっとうしいものです。
食べられなかったりします。
母親の存在は非常に大きなものと言えるのです。子供の頃を過ごそうやって特に母親に全面的に依存し、守られていた状況から比べるとめざましく成長している11歳から三歳くらいの子どもは、少しずつでも確実に自分の力でまだ立つことができなかったり、歩けなかったり、できることが増えてきます。
もちろん、母親からするとまだまだ危なっかしくて仕方なく、お母さんが手伝っているからこそ子どももできたと思えることが多いのも事実です。しかし、お母さんにやってもらうしかなかったことが、自分だけの力でできる。子どもの側から見れば、こんなに面白くてワクワクすることはないでしょう。見方を変えれば、子どもが自分を試し、自分自身に自信を持つこともできる時期でもあるのです。

自分でやるという気持ち、
ボク
ワタシがやりたいのだという気持ち、も大切です。

子どもの見ていないところで言ってもらいたい。

何かをしようとするときに、その原動力となるもの1やる気
からですこれはとてにつながるこの時期の子どもの反抗は、自分でやる気を出してきたということなのですから、親が力ずくで抑え込んではいけません。子どものやる気をくじいてしまうからです。
かといって子どもの自己主張をすべて受け入れていたのでは、親が子どもの家来になってしまいます。
このあたりのバランスをどう取るかが大事なところで、それ以後の子育てにも大きな影響を持ってきます。
子どもはほっとします。


子どもに対してもにわっちゃダメ
子どもに対してもにわっちゃダメ

父親がいない分自分が頑張って

親がいいかげんに状況に流されて、首尾一貫しないその場しのぎになってしまってはいけません。
子どもが選ぶこと、親が選ぶこと
第一反抗期は、子どもが親にNo!
なのだと考えるといいでしょう。
と言うことで、自分の存在を確かめている時期そのとき親がすべきことは、まず、子どもの主張をきちんと受け止めること。そしてどちらでもいいことは子どもに選ばせます。例えば、服装などの好みの部分についてはどうしてもこれでなければ困るといった場合式典等を除いては、親がいちいち目くじらを立てることはありません。
どちらでもいいことは、子どもに決めさせていいのです。子ども自身が自覚を持って選び、その結果を自分で受け止めることは大事な体験です。どんなちぐはぐな格好をしていても、その子自身が選んだのなら認めてあげましょう。晴れた日に長靴を履いていてもかまわないのです。
「私は暑いから履くのはイヤだなと思うけど、あなたがどうしても履きたいならそうしてみようか」と、やらせてみることです。

子どもの側から見れば

伸びていなかったのです。

子どもがいる

ささいなことにカッとなり、どなったり、ひっぱたいてしまったり。子どもを泣かせないと気がすまない、泣き声がうるさいとさらに腹が立ってくる。あとで冷静になって考えてみると、子どもは悪くないのに自分の感情をぶつけていたことに気づき情けなくなるけれど、また同じことを繰り返してしまうのですこういう人は、家の外で活動すること。子どもと離れてはつらつと働く時間を持つことで、子どもにもよりよく接することができるようになるでしょう。
手記*母から受け継いだ子育てエネルギーの源は愛されている実感
あなたのエネルギーの源は何?とよく聞かれるのですが、私の場合は愛されているという実感です。特に母親の無償の愛ほど、子どもに生きる力を与えるものはないと思っています母は私を心から愛してくれました。

  • 子供の人格ば
  • いじめの問題
  • 子どもはわがままになるだけでなく

幼稚園児と彼らにすっかりなめられている感謝しきれないほどもらった深い愛情を、が子どもたちに伝えていくことが、母への恩返しだと思っています今度は私幼い頃の私は、自分の主張を通そうとするわがままで気の強い性格でした。母は
あなたの悪いところは小さい頃に徹底的にしつけて直したと今でも口癖のように話しますが私は生まれてから小学校三年生頃までずっと反抗期だったようで、この時期まではかなり厳しく育てられたものです。
母は確固たる自分の考えを持っている人で、自分の気分や都合で子どもを叱ることはありませんでした。しかし、ダメ!ということは、子どもがどんな手を使っても、決して許しません。皆が持っているから、私にも買ってと駄々をこねても、母の答えはいつも同じ。皆って誰と誰なの?子どもがそれをうらやましそうに見ています

 

先生方のお話を伺って私は実に仕合わせだと思った。

00ちゃんも、OO君もと懸命に話すのを最後まで聞いた後で、皆が持っていたとしても人は人。自分は自分とサラリと返すのです。頭ごなしに話すのではなく、子どもの言い分を聞いたうえで的確な判断をする母でした。皆が持っているという子どものおどし文句にもまったく反応しません小学校の入学式のときも、よそのお母さんは皆着物で来ているのに、母だけは洋服で来ていたものです。母以外で唯一、洋服で来ていたお母さんに「洋服で来ている人がいてよかった。私一人だったら恥をかくところだったわ」などと声を掛けられても、母はそんなことを気にしている様子はまったくなく、微笑んでいました。
ほほえ母はタンスにいっぱい着物を持っていましたが、人がどうであれ自分が着たくなければ着ない人。当時小さかった私にも皆がやっている。
教育をさせたいのか。
子育てをしているのはもっぱ
持っている
という手は母には絶対に通用しないことを実感したものです。
素直になれた母との交換ノート親の言うことを素直にきく弟に比べ、私はよく親に反論をする子どもでした。自分の考えをハッキリ言う私はきっと可愛げのない子どもだったことでしょう。しかし母は頭ごなしに私を否定することはなく、いつも私の話に真剣に耳を傾け、あなたの考えのここは正しいけれども、ここの部分は間違っていると厳しく指摘したものです。

 

子供の性格

それでも私は簡単に引き下がるような子どもではなく、議論ののちには思ってもいないような憎まれ口をきいてしまうこともしばしば。言ったあとでなんであんなことを言ってしまったんだろうと反省をするものの、素直にごめんなさいと言えない子どもだったのです。
私の本心を見抜いていた母は、ある日ママと洋子ちゃんのノートと表書きされたノートを私に渡しました。そこには「あなたは口では反発ばかりしていても、本当はとても優しくて、思いやりのある子どもだということをママは知っています。でもあなたの優しい気持ちも言葉にしないと他の人には伝わらないものよ。あなたの本当の気持ちを書い
というような内容が最初に書かれてありました。
文章に書くとなると、私も不思議と素直になれました。
てね」
母は私の書いたものに対し、丁寧な返事を書いてよこします。
「親の言うことを素直にハイハイときく子どもがいい子だとママは思ってはいません。

子供に対して腹立たしい

あなたは一見育てにくい子どものように見えるけれども、それは自分の気持ちを正直に言う子どもだから。でもあなたはきっといい子になると思うわ。なぜなら、あなたの考えていることがわかるので、間違えた考え方や行動を教えてあげられるからよ親だって人間だもの、間違えることもあるわ。そのときは親でも謝らなければいけないと思うの。でも子どもが間違えたことをしたときは、注意をするのが親の役目。可愛い子どもだからこそ注意をするのよ。だからあなたも自分が間違えていたと気づいたときは素直に謝りなさい。間違いは誰にでもあるものだから」と。
よく叱られたものでしたが、
母は私が憎くて叱っているのではないことが小さな私によく伝わってくる叱り方でした。


子どもがそれをうらやましそうに見ています 勉強もしたらよい。 子供はベストを尽くしているのです。