父親そっくりの男性と結婚することが多く

子どもの私のほうがずっと大変でしたよ。

なかすが、二、三カ月もたつと、母乳の需要と供給のバランスがとれて、授乳の間隔はあいてきます。規則的な授乳ができるようになる頃から、赤ちゃんの泣く理由も、寝ぐずりや甘えなどが多くなります。生体リズムから来るのか、毎日同じ頃に激しく泣く赤ちゃんもいます。泣いたらおっぱいの時期は卒業なのですが、すぐにおとなしくなるからとついつい飲ませてしまいがち。私たちNMS研究会の調査一九九八年、有効回答数一一二五でも授乳について
泣かれると与えていた母親はなるべく規則的に与えていたを上回り五一·五パーセント。半数を超えていました。
同じ調査で、抱っこについて尋ねたところ、泣かれると抱くようにしていたが六六.五パーセントで、抱いてばかりいた九·五パーセントと合わせると、実に四分の三の母親が
泣いたら抱っこの子育てをしてきたことになります。
学校体制では詰め込み主義

子どもが健やかにいられるよう

先生になるための素質として大切だからである。

赤ちゃんにはスキンシップが大切愛されているという安心感が子どもの心を育てますと耳にタコができるほど聞かされている今のお母さんたちの多くは、疑うことなくできる限り抱いてあげようと努めているのです。
赤ちゃんが泣き止まないのは自分のせいではないかと考えたり、下ろすと泣くので家事も食事も片手で赤ちゃんを抱いたまま、と自分を追い込んでしまっているお母さんもいますしかし、赤ちゃんは泣くのが当たり前。特に十人に一人は、生まれつき気難しく泣くことの多い赤ちゃんだと言われています。泣くことで心肺機能も鍛えられるのですから、少しおおらかにかまえていてよいのです。


子どもの気持を聞いてやるべき時
子どもの気持を聞いてやるべき時

子どもの言いなりにジャブジャブと買い与えるという

子供の情操抱っこがすべてではない赤ちゃんを安心させること、泣いたらすぐに応じることは確かに大切です。泣いても泣いても何の反応もないことが繰り返されたら、赤ちゃんは周りの人とコミュニケーションをとれるようにならないばかりか、順調な発育を望めないでしょう。
でもそれは、いつでも抱き上げなさいということではありません。声をかけながら寄っていき、おむつが汚れていないか、授乳時間ではないか、暑すぎないか、痛いところやか話をしてくれている
ということは十分に伝わります。
特に不快なところがなければ、眠いのにうまく寝つけず、ぐずっているのかもしれません。おっぱいや抱っこで寝かしつけるのは簡単ですが、身体の一部をトントンしたり、おでこを撫でたりすると落ち着いて眠ることも多いもの。家事の手をはなせずにちょっと
待っててね
と言っているうちに眠ってしまった、なんて話もよくあります。一人で寝かす習慣をつけるのと、抱っこやおっぱいで寝かしていくのとでは、1歳を過ぎてからの子育ての大変さがまるで違ったものになります。小さなうちから、寝ぐずりのときはできるだけ抱っこはしないで寝つくのを見守るようにしていきたいものです。
伸びていなかったのです。子供をどんな人間知恵のついてきた赤ちゃんは、同じ場所にじっと寝かされているのに飽きたのかもしれません。姿勢を変えてあげたり、場所を移して、違う景色や音、感触に出合わせてあげると、気分が変わります。時間のあるときには、歌を歌ってあげたり、手足を触りながら話しかけたりという、抱っこ以外のコミュニケーションもいいものです。忙しいときにはお仕事が終わるまで待っててねと待たせることも大切。しばらく泣いているかもしれませんが、そのうちに一人で遊び始めます。
甘え泣き
には工夫して泣くとお母さんがやってきてくれることを知った赤ちゃんは、次第に相手をしてもらいたくて泣くようになります。初めのうちは目の合ったときに甘えて泣いていたのが、五カ月くらいになるとお母さんを呼び寄せるために意識的に泣いていることが見て取れるようになってきます。この頃には、お腹が空いて泣いているのかそうでないのか、お母さんにはわかるはずですから、むやみにおっぱいやジュースを与えるのは、正しい食生活の基盤を作るためにも避けるべきです。

父親に屈折した思いを抱い

空腹でないのに口にものを入れて泣き止ませるというのは、赤ちゃんを理解したやり方とはいえません。
まずはクッションを使って座らせてあげたり、興味を引きそうなものを持たせたり、赤ちゃんが退屈しないですむように工夫。普段から外へ連れていったり、ほかの子どもたちに出会わせたり、お母さんばかりに関心が向かないようにすることも大切です夜中に泣いた場合には、異状がないかチェックしたら、あとはなるべく話しかけずにもう、おやすみと離れること。
伸びていなかったのです。


いじめられそれが問題になったことがありました。
いじめられそれが問題になったことがありました。

子どもは親がなにかをいう間黙っていていい終

五分たってもまだ泣き止みそうになかったら、もう一度だけ様子を見に行って、その後はそっとしておく。激しく泣き続けたときには、湯冷ましを飲ませたり、着替えさせたりしてもかまわないけれども、さっと済ませる。日本の住宅事情では、夜中に泣かせておくのはなかなかつらいのですが、これが
夜は寝なければいけないんだと教えるには、いちばん近道なのです赤ちゃんが王様
言うことをきかない子
へのスタート1歳前後になると、今度はダダをこねたり、かんしゃくを起こして泣くことがでてきます。そんなとき、涙に負けて子どもの言いなりになってはいけないのはもちろんですが、叱りつけたり、なだめようとしていろいろ言ってきかせるのも実は逆効果。叱られるのであっても、お母さんに注目してもらえるのであれば、また同じ行動をとるようになるからです。一度言ってもきかなければ離れて見守り、泣き止んでから穏やかに話しかけたほうがよいのですいずれにしても、
泣いたら要求が通った.かまってもらえたという経験を積めば、赤ちゃんはよく泣くようになるものです。

母親にさえならなければ

子どもがそれをうらやましそうに見ています

子どもが秘めた大きな力

子どもだけに目を向けず自分の活動を充実させると、自然に周りに人が集まり子どもの世界も広がって、自分で判断できる子どもを育てていくでしょう。
このように、権威型の子育てにもいろいろありますが、気をつけなければいけないのは親は絶対的な権力を持っていて、子どもに対して何をやってもよいと信じている場合です。
しつけのためなら、暴力を振るったり、頭ごなしにどなったりしてもかまわないと考えるのは、今や父親よりも母親に多くなりました。

  • 母さんが怒
  • 子どもはいつも親たちを見つめています。
  • しつけも行き届いた家庭環境のしっかりした子

しつけを考える場合母子密着少子化で、母親のエネルギーが一人、二人の子にぶつけられたとき、逃げ場のない子どもの受ける抑圧は、相当なものでしょう。強い子の場合は、弱い者に向けてウサを晴らすことが多いですが、子どもに力のついた思春期以降に今度は親がしっぺ返しを受けることになりがちです。また弱い子、素直な子の場合にはいわゆるいい子として育つのですが、押しつけられたことをやっているうちに自分のやりたいことがわからなくなり、生きる力を失っていくでしょう。
親の権威によるしつけは必要です。しかし権力による押しつけは、子どもの幸せをつぶすのです流され型私たち日本人はみんなで一緒に弱いものです。赤信号、みんなで渡れば怖くない
に限らず、みんなが持ってるからみんながやってるからみんなが行くからという理由で何となくそうするべきなんだと思っている人の、なんと多いことでしょう。父親そっくりの男性と結婚することが多く

 

学習と一人ひとりに合わせるのがこれからのほんとう

貧しかった時代には、お隣はそうでも、うちではそれは無理ということがありましたし、清貧に甘んじる美意識が機能していました。しかし、急激な経済成長の時代に消費は美徳の規範がうえつけられ、人々は子どもに物を与えるのはよいことだととらえて疑わなくなりました。消費をあおるコマーシャルにのせられて、何でも人並みに……が行き過ぎると、子育てではマイナスに働きます。
学校で怪我をした。
幼稚園が一つの高い理想をもって
子どもにみんな持ってるよとねだられれば、買ってあげないと、お友だちがいなくなってしまうかもしれないと心配になり、ついつい買い与えてしまう親も多いもの。よほど確固とした信念を持っていなければ、ほとんどのお母さんは多かれ少なかれ流され型の傾向を持っているといえます。
最近の新米お母さんたちの心強い味方といえば育児雑誌の数々です。慣れない育児の初めの一歩を、専門の先生の丁寧なアドバイスや、先輩ママの体験談が勇気づけ、可愛らしいベビー服や便利なベビー用品のページは、一人でもんもんとしているお母さんにとって何よりの息抜きにもなっています。
流行に敏感な母親たちは、育児雑誌のファッションページに刺激され、着せ替え人形よろしく子どもの全身を特定のブランドで固めるのに全力投球。これは流され型の顕著な例です。

 

子どもはますます悪くなっていきます。

可愛い子どもに可愛らしい服を着せたいと思うのは自然ですが、見た目の可愛さを保つことに懸命になるあまり、服を汚すような遊びを片っ端から規制したり、基本的なしつけには無頓着だったりするのは、あきらかに行き過ぎです幼い子どもがお人形かペットのように扱われることに慣れてしまうのも、やがて分不相応なお金をかけた過剰なおしゃれをしなければ気がすまないような中·高生に成長していくのも、おそろしいことではないでしょうか。
もう一つ、流され型で多いのが、お受験ママに代表される、早期教育に走るお母さんたちです。子どもの数は減っているのに、国立·私立小学校の人気は高まるばかりまさに
流されているのです。
かつてはお坊ちゃん
お嬢さまが行くものだった有名小学校は、プライドが高く、ブランド志向のお母さんたちには憧れの的です。いじめ学級崩壊といった公立校の荒れが追い風となって、お受験を意識した幼児教室は花盛り。

子どもに借金と利子の概念を教えるとき

お受験は目指さなくても、ちまたには胎教から始まって乳幼児の知能を伸ばすとうたうおもちゃや絵本情報があふれ、多くの母親はいつの間にかわが子を一歩リードさせたいという思いにかられていきます。
あこがまた、果たせなかった自分の夢を子どもに託して、英語や音楽などの早期教育に熱を入れるお母さんもいます。才能と適性が一致してその道で成功していく子どももいるにはいますが、それはごくまれな例。ほとんどの子どもにとっては、過大な期待が負担になるものです社会のなかで評価されて生きてきた女性が、子育てのために家事·育児に専念したとき子どもを通して自分を認められたいと思うのは当然かもしれません。一人·二人の子に全エネルギーを傾けて暮らすお母さんたちは、不況のなかでも、絶好のお客様。まだまだ元気なおじいちゃん·おばぁちゃんたちの応援もあって、子ども服やおもちゃ、幼児教育産業に、お金も時間もつぎこんでいます。でも、子どもたちが本当に欲しいものは、もっと違うところにあるのではないでしょうか。
放任型日本の伝統的な子育ては放任型でした。


父親そっくりの男性と結婚することが多く 子供はベストを尽くしているのです。 子どもがそれをうらやましそうに見ています

母さんといっしょ

学習に困難を感じ始める

子どもは、周りの人に笑われたり誉められたりしながら、どうすればいいのかを身につけていくのですから。
一方、どちらでもいいではすまないことに関しては、言葉を使ってはっきりと言ってきかせます。子どもが選んでいいこととそうでないことがある、親は自身のなかにその基準線を1本しっかりと持っておく必要があるのです。
家族をはじめ周囲のたくさんの人たちのなかで生活しているのですから、の主張がいつも通るとは限らないということを理解しなければいけません。
子どもも自分また、親は頭ごなしに叱りつけたりどなったりするのでなく、で引き上げる気持ちで子どもと接することが必要です。それが、もを尊敬するということなのです。
学校えらびに自分

中学入試の際に国語科が良くできていた生徒

父親を持つ

子どもを親と同じ高さまひとりの人間として子ど11歳や三歳くらいでは、言ったってどうせわからないと考える大人も意外と多いようでしかし、赤ちゃんのときから親が誠実に自分の言葉で接することは、子どもにとってとても大切なことなのです。
そうしてしっかりと親子のコミュニケーションを取り、子どもが自分で選んだことにっいては最後まで子ども自身が責任を取れるようにすること。親は自分ではそうしているつもりでも、意外と最後の段階までいっていないことが多いのです。
第一反抗期も過ぎてしまえばあっという間です。


先生も一緒
先生も一緒

子育てが無理なくできるのです。

母の日々の険悪だからといって、親がよくない対応をしたままだと、思春期には何倍も強烈なしっぺ返しが来ることになるでしょう。
ただ、もう過ぎてしまったから手遅れだわ!と嘆くこともありません。大事なのは実践すること。気がついたときから始めればいいのです。親が努力するのに遅すぎるということはありません。
生活習慣は積み重ねから片づけ
の習慣は一時にはつかない子どもの部屋に行くと、あまりの散らかりようにうんざり。そしてその度にまた散らかしっぱなし。いつも片づけるように言っているでしょうと子どもに文句を言っているお母さんは本当に多いもの。
しかしいくら母親が口を酸っぱくして小言を繰り返したところで、散らかしっぱなしの癖はそう簡単に直るわけではありません。
子どもはほっとします。母さんにあまり心配をかけてはいけない片づけは幼いときからの生活習慣の積み重ねで覚えていくものです。子どもが幼稚園や小学校に通うようになり、今日から何でも自分で片づけなさいと言ったところではい、そうですかとできるものではありません。
子どもが散らかしっぱなしにするものの一つにおもちゃがあります。NMSには「夕方、食事の時間になっても、おもちゃの片づけができないで困っています。どうしたら子どもがひとりで片づけができるようになるのでしょうか」という質問がよくまいこみます三歳のりょう君は、いつも自分が遊んだおもちゃや本を散らかしっぱなしです。お母さんのEさんがいくら片づけなさいと言っても、放りっぱなし。散らかしっぱなしにしておくと、全部捨てちやうからねと言われてもまったく効き目がありません。

母親になれるのです。

結局毎日しびれをきらしたお母さんが片づけているのです。
Eさんのやり方は間違っているのです。いくら文句を言っても、最終的に手を出してしまっていたのでは、子どもはお母さんはいつも最後には片づけてくれると思ってしまいます。一度捨てると言って、子どもがその注意を無視したら、黙って捨ててしまうのがコツ。捨てる捨てると言うだけで、実際に捨てないのは、おどかし以外の何ものでもありません。
父親はたいそう腕の立つ鍛冶職人


成長とともにどんどんと増えていったものです。
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子どもを見続けているという意識がある

これでは
言うことをきかない子どもをせっせと育てているようなものこのようにおどかし育児をしていると結局、お母さんの言うことを聞き流す癖がついてしまい、しつけが身につかなくなってしまいます。きちんとしたしつけをつけるためにも、親は自分の言ったことに責任を持たなければなりません。
しかし子どもに片づけの習慣をつけるのは、それなりの時間と忍耐がいります。しかも子どもが大きくなればなるほど、散らかしっぱなしの癖を直すのは難しくなってきます。
だらしない子を育てないためには、1歳をすぎたらしっかりと教え込むことが大切です。
できるだけ幼いときからFさんは子どもが歩き始めた頃から、外遊びや買い物から帰ってきたときに、必ずまいちゃん自身の手で靴をそろえさせるようにしていました。三歳になったまいちゃんは、今ではFさんが何も言わなくても、自分できちんと靴をそろえてから家にあがります。
おもちゃにしても同じです。Fさんはまいちゃんが1歳過ぎた頃から、教えていました。

子供でも一人前の家族のメンバーとして扱い

子どもはほっとします。

子どもと同じ心理だところ

「ああこんなにイライラするのは、私がこういうタイプの母親だからだわ」と思うことでイライラも切り抜けられるし、逆に子どもが可愛くて可愛くて、どんなことでも受け入れるのが当たり前、と思っているお母さんは、それもまたひとつの偏り私たちはそれを受容型として分類していますであり、そこにも独特の危険が潜んでいることを知ることができます。
かわいかわいどんなことにも行き過ぎは禁物ですが、子育てでもその通り。よいお母さんの心からの愛のなかにも、行き過ぎれば子どもの害になる部分があり、無頓着なお母さんのなかにも、実はそれだからこそ意外に子育てにとってプラスになる部分も潜んでいます。
わずかでもいい、この章で母親としての自分のタイプを知っていただき、さまざまな困難をより賢く切り抜けて、子育て期をよりラクに、楽しく過ごせるコツを身につけていただきたいと思うのです。
お母さんの五つのタイプ保護型·受容型·権威型·流され型·放任型保護型小さな子どもは保護されることなしには生きられません。

  • 教育に生かした先達がフランスのルソー
  • 父親のほうが圧倒的に多い
  • 母親に長女が助け船を出しました。

母さんの笑いの変化。安全な場所と食事が与えられなければ命に関わるのですから、母親が何をさしおいても子どもを守ろうとするのは自然なことですかかしかし、成長した子どもをいっまでも保護し続けたのでは、子どもは自立できません。
子どもの生きる力を養うには、保護は必要最小限にしたほうがよいのです。
日本の女性は一般に優しくて気配りがこまやかだといわれます。よく気がついて相手の気持ちを察するのが得意な文化的特性からも、日本の母親は欧米に比べれば保護型の傾向が強いといえます。
家事が省力化し、子どもの数が少なくなった今、女性たちの子育ての多くは、行き過ぎた保護、すなわち過保護に陥りがちです。心配症で世話好きなタイプや、よく気がっいてじっとしていられないタイプの人がお母さんになると、至れり尽くせり先回り。子どもが失敗したり繰り返し挑戦するチャンスを奪ってしまいます。
やってみて失敗して、工夫してまたやってみる。その繰り返しのなかで子どもはたくさんのことを学び、生きる力をつけていくのです。父親はたいそう腕の立つ鍛冶職人

 

教育委員会に訴え

過保護は一人で何もできないやらない子を育てます。保護型のお母さんの子育ては、ともすると子どもの生きる力を削いでしまうのです。
保護型のお母さんが学歴こそ最高の保護とばかりに教育熱心になると、母子密着がエスカレートします。勉強さえしていればあとは何もしないでいいから、と子どもの小間使いのように世話をし、快適な環境づくりに心を尽くすお母さん。子どもはその快適さから、自立の欲求はどこへやら。思春期になっても、母親に世話を焼かれることを少しも嫌がらず、成人しても今日は休みますと母親に会社に電話してもらう若者もいるありさまです。
このように現代の密着育児の問題がもろに出てくるのが保護型のお母さんなのですが、ごくまれに、子どもの生きる力を伸ばす賢い保護ができる場合もないではありません。
子供はかわい気がない。
子どもから親しまれる教師
人にものを教えるのが上手な人は、手とり足とり教えすぎたり、初めから正解を教えてしまうのではなく、本人が考えてやってみるようにリードします。そのコツを心得ていて面倒見のよすぎることのマイナスを自覚しているお母さんの場合、長い目で見て手を出したほうがよいのか見守るほうがよいのか、適切な判断が可能になるのです。
ただしこれには、母親の心のゆとりが必要です。
穏やかに子どもに接することのできるお母さんは、いでしょういつでもイライラせずに冷静に判断しまれに見る幸せなお母さんといってよ受容型生まれてきたわが子が難しい病気でどれだけ生きられるかわからない、と言われていた
ら、生きていてくれるだけでいい世間がなんと言おうともこの子がわが子であるだけでいとおしいと思わないお母さんはいないでしょう。

 

子どもがいると物がどんどん増えちゃって…

無条件に子どもをまるごと受け入れ、命を守ろうとする母の愛は、子どもに生きていく自信を与えますところが、その本能的な母親の愛が、自然な形で子どもに注がれず、しまいやすいところに、現代の子育ての難しさがありますバランスが崩れてできあいわが子に対する溺愛は誰にでもあるものですが、同時に、母親以外に、家庭でしっけの担い手になる人がいない現代ところが子どもがとにかく可愛くて、優しく温かい母親でありたいという気持ちの強いのが受容型のお母さんです。
受容型の典型は、子どもを育てるのが天職だと思えるくらい、子ども中心の生活を楽しめるお母さん。しかし、自分の価値観をしっかり持っていて、優しさのなかにもけじめをつけたしつけのできる人であれば、包み込まれた子どもは愛されているという実感のなかで、自立した人として生きていけるようになるでしょう。子どもと過ごす時間をかけがえのないものだと無理せず思うことができ、心の底から慈しんで育てられたら、母親も子どもも幸せですただし、このタイプのお母さんは、子どもが巣立ったあとの生きがいを見つけられるようにしておかないと、子離れに苦労することになりかねません。

母さんに言いました。

また、元来子どもと遊ぶことが好きで、育てに向いていますにぎやかでおおらかなお母さんも、受容型の子他人の子も受け入れ、よその子もうちの子もわけ隔てなく可愛がり、叱るときにはきちんと叱る。そんなお母さんのいる家庭には、絶えず複数の大人や子どもが出入りしていて大家族のよう。上の子は下の子の面倒をみることが自然と身についているので、子どもだけで遊ばせておいても比較的安心です。親たちもリラックスして過ごせます。
異年齢の子ども同士が互いに刺激しあいながら育っていくところでは、親が口を出す必要のあることはぐっと少なくなります。


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子供は自分がこうすれば

子供は退屈なだけかも知れません。

母親は授乳やおむつの世話はしても、しっけの責任者ではなく、子どもたちは自然の厳しさに揉まれて育ち、奉公先でしつけ·教育を受けて社会人となっていったのです。放任型の親は、子どもにうるさがられることもぁりませんから、ときおりの受容だけが温かく思い出されるもの。戦前の日本の母親のイメージがうかんできます。
しかし、急激な社会変化で子育ての責任は母親の肩に背負わされるようになるとともに子どもたちの育つ環境もすっかり変わってしまいました。母子密着に陥りやすい現代では放任型の子育てのよい面にとかく目が行きますが、豊かな社会のなかでの放任は子どもを野放図に育ててしまわないよう、十分な注意が必要です。

  • 教育方針をお決めになって
  • 子どもだって自分のメンツがこわれないよう
  • 伸ばすと思います。

母さんは食器を戸棚にきちん放任型の代表は、子どもをどのように育てたいか、自分自身の考えを持っていないために、子どもの生活に無頓着なお母さん。おおらかでのんきなのはいいけれど、子どもの
生活環境を整えようという気はさらさらなく、大人の生活に巻き込んでいくので、夜更かしは当たり前、食べるものはスナック菓子やインスタント食品。明るく楽しそうな家庭ですが、成りゆき任せの無責任では健康な生活は望めません。
子どもたちは親と仲のよい友だちのようですし、少なくとも神経質に悩む大人にはならないでしょう。しかし、この社会のなかで自分を律して生きていく力をつけるには、生活リズムや食生活に最低限の気配りが必要だと、親は認識するべきです。
また、新しいタイプの放任型のお母さんもいます。子供はベストを尽くしているのです。

 

しつけの問題だと言われてしまえば

まだまだ娘気分が強く、を育てることについても自分自身の生き方についても深く考えたことのないまま、を産み、子育ては自分の母親に任せきっているケースです子ども子ども結婚しても子どもを産んでさえも、両親に甘え、独身気分のまま買い物を楽しんだり友だちと会ったりするなんて、一昔前なら非難の的となったことでしょう。しかし、老後は息子夫婦よりも実の娘のそばで暮らしたい、と言う人も多くなってきました。今や、元気いっぱいで、他にこれといった生きがいもなくエネルギーをもて余している祖母世代がかいがいしく孫育てを楽しんでいる場合も珍しくないのです育児の主体がおばあちゃんにとって代わられたので、お母さん自身は子どもをペットのように、自分の都合にあわせて可愛がっていればすんでしまうのですが、ここから、新しい形のバアちゃん育ちの子が育っていくに違いありません。
教育の一つのありようはというとまず私
子どもはいつの間にか育って
そしてまた、依存していた自分の親を頼ることのできない日が突然訪れたとき、若いお母さんが子どもを抱えて右往左往、という例も見かけます。何でもやってくれるからと放任していると、いざというときがおそろしいと心にとめておきましょう。
一方、同じ放任とは言っても、あまりにも忙しく働いているために、かけることができないお母さんもいます。
子どもに手を朝は戦争のような騒ぎで子どもをせきたて、保育園に連れていく。帰りも電車に飛び乗ってお迎えにかけつけ、大急ぎで買い物、食事の支度、夕食、お風呂と夜は夜で時間との闘い。

 

母さんがほめてくれる

あわただしい毎日のなかではしつけなど考える暇もなく、子どもはいつの間にか育ってしまった、というのがこのタイプのお母さんの実感でしょう。
しかし、こうしたお母さんたちは手をかけすぎて子どもをダメにしてしまう心配はありません。それどころか子どもたちは、忙しい母親の背中を目にし、保育園で揉まれながら何でも一人でやらなければならないことを覚えて、たいていたくましく育っていくようです子どもと過ごす時間の少なさを埋めあわせようと、ついつい物やお金を与えてしまうお母さんもなかにはいますが、時間は短くても子どもの心を育てる母子関係をつくることはできます。

教育がないという話になったそうです。

負い目を感じることはないのです母親のなかには、あえて放任型の子育てを選んだほうがよいという場合も少なくありません。家事·育児では満たされないタイプの人たちです。
活動的で、他人のなかで忙しく働いているときこそ活き活きしている女性が、無理して子育てを優先させるのは、必ずしも子どものためによいことではありません。家事以外にしたいことのある人、バイタリティ-あふれる人を、家のなかに閉じ込めるのは、火山にふたをするようなもの。はけぐちのないエネルギーは子どもに向かい、果ては自分に向かい、悲惨な結末を迎えることになりかねません。
自分のやりたいことをあきらめて、あるいは家事や人の世話をするのが好きではないの
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子供はベストを尽くしているのです。 成長したのでした。 母親の存在は非常に大きなものと言えるのです。

学校体制では詰め込み主義

子供の数よりはるかに多いのです

わが子のためなら何でもしてやりたいと思うお母さんにとってラクなことではありませんが、時には要求に応じないことも必要なのです泣いても思うようにいかないこともあるという経験や、
にんが嬉しそうに抱きしめてくれたという経験をしている赤ちゃんは、何かにつけて泣いこしていたら、お母さ
て抵抗する子どもにはなりません。
赤ちゃん時代に赤ちゃんを愛しているが必要以上に甘やかさない親子関係をつくっておけば、
ちゃんと親の話を聞く子どもを育てるのは難しくありません。
最初が肝心
手遅れはない
とはいえ、基盤がきちんとできていれ子育てにば、親子関係は楽しく展開していくのです。
子供は自分がこうすれば

学校の原因別の欠席状況を見てみましょう。

母の思いがこもってそのことが嬉しいはずだ。

やはり
第一反抗期をどう切り抜けるかヤダヤダ

お母さんキライ11歳過ぎから三歳くらいにかけて、それまでよくお母さんの言うことをきき、育てやすいと言われていた子どもでも、ことあるごとに
ヤダ!キライ!を連発するようになることが多いものです。この時期は第一反抗期と呼ばれています思春期の劇的な変化と比べると、第一反抗期はそれほどはっきりと変化が出るとも限らず、なかにはそんな時期はなかったという子どももままあります。

ついこの間まで私の言うことをよくきいて、でも、たのに、今は何を言ってもイヤお母さん、本当に多いですね。


幼稚園に上がる前は家庭の中でかなり注意深く
幼稚園に上がる前は家庭の中でかなり注意深く

子供を鋳型にはめ込むのではなく

母はわたしの顔さえ見れば手が汚い髪の毛が長いツメこうしようねこっちがイヤになっちゃ3と言えばやっていなんだから。
そんな自分でやりたい子どもがヤダーキライ!と言って親に反抗するのは、自分でやりたいという気持ちが芽生えてきたということのあらわれです。いわば自立心の第一歩ですからこれは親としては喜びこそすれ、うっとうしがってはいけないはず。
ところが実際は、赤ちゃんの時期は、母親にとってはこれがかなりうっとうしいものです。
食べられなかったりします。
母親の存在は非常に大きなものと言えるのです。子供の頃を過ごそうやって特に母親に全面的に依存し、守られていた状況から比べるとめざましく成長している11歳から三歳くらいの子どもは、少しずつでも確実に自分の力でまだ立つことができなかったり、歩けなかったり、できることが増えてきます。
もちろん、母親からするとまだまだ危なっかしくて仕方なく、お母さんが手伝っているからこそ子どももできたと思えることが多いのも事実です。しかし、お母さんにやってもらうしかなかったことが、自分だけの力でできる。子どもの側から見れば、こんなに面白くてワクワクすることはないでしょう。見方を変えれば、子どもが自分を試し、自分自身に自信を持つこともできる時期でもあるのです。

自分でやるという気持ち、
ボク
ワタシがやりたいのだという気持ち、も大切です。

子どもの見ていないところで言ってもらいたい。

何かをしようとするときに、その原動力となるもの1やる気
からですこれはとてにつながるこの時期の子どもの反抗は、自分でやる気を出してきたということなのですから、親が力ずくで抑え込んではいけません。子どものやる気をくじいてしまうからです。
かといって子どもの自己主張をすべて受け入れていたのでは、親が子どもの家来になってしまいます。
このあたりのバランスをどう取るかが大事なところで、それ以後の子育てにも大きな影響を持ってきます。
子どもはほっとします。


子どもに対してもにわっちゃダメ
子どもに対してもにわっちゃダメ

父親がいない分自分が頑張って

親がいいかげんに状況に流されて、首尾一貫しないその場しのぎになってしまってはいけません。
子どもが選ぶこと、親が選ぶこと
第一反抗期は、子どもが親にNo!
なのだと考えるといいでしょう。
と言うことで、自分の存在を確かめている時期そのとき親がすべきことは、まず、子どもの主張をきちんと受け止めること。そしてどちらでもいいことは子どもに選ばせます。例えば、服装などの好みの部分についてはどうしてもこれでなければ困るといった場合式典等を除いては、親がいちいち目くじらを立てることはありません。
どちらでもいいことは、子どもに決めさせていいのです。子ども自身が自覚を持って選び、その結果を自分で受け止めることは大事な体験です。どんなちぐはぐな格好をしていても、その子自身が選んだのなら認めてあげましょう。晴れた日に長靴を履いていてもかまわないのです。
「私は暑いから履くのはイヤだなと思うけど、あなたがどうしても履きたいならそうしてみようか」と、やらせてみることです。

子どもの側から見れば

伸びていなかったのです。

子どもがいる

ささいなことにカッとなり、どなったり、ひっぱたいてしまったり。子どもを泣かせないと気がすまない、泣き声がうるさいとさらに腹が立ってくる。あとで冷静になって考えてみると、子どもは悪くないのに自分の感情をぶつけていたことに気づき情けなくなるけれど、また同じことを繰り返してしまうのですこういう人は、家の外で活動すること。子どもと離れてはつらつと働く時間を持つことで、子どもにもよりよく接することができるようになるでしょう。
手記*母から受け継いだ子育てエネルギーの源は愛されている実感
あなたのエネルギーの源は何?とよく聞かれるのですが、私の場合は愛されているという実感です。特に母親の無償の愛ほど、子どもに生きる力を与えるものはないと思っています母は私を心から愛してくれました。

  • 子供の人格ば
  • いじめの問題
  • 子どもはわがままになるだけでなく

幼稚園児と彼らにすっかりなめられている感謝しきれないほどもらった深い愛情を、が子どもたちに伝えていくことが、母への恩返しだと思っています今度は私幼い頃の私は、自分の主張を通そうとするわがままで気の強い性格でした。母は
あなたの悪いところは小さい頃に徹底的にしつけて直したと今でも口癖のように話しますが私は生まれてから小学校三年生頃までずっと反抗期だったようで、この時期まではかなり厳しく育てられたものです。
母は確固たる自分の考えを持っている人で、自分の気分や都合で子どもを叱ることはありませんでした。しかし、ダメ!ということは、子どもがどんな手を使っても、決して許しません。皆が持っているから、私にも買ってと駄々をこねても、母の答えはいつも同じ。皆って誰と誰なの?子どもがそれをうらやましそうに見ています

 

先生方のお話を伺って私は実に仕合わせだと思った。

00ちゃんも、OO君もと懸命に話すのを最後まで聞いた後で、皆が持っていたとしても人は人。自分は自分とサラリと返すのです。頭ごなしに話すのではなく、子どもの言い分を聞いたうえで的確な判断をする母でした。皆が持っているという子どものおどし文句にもまったく反応しません小学校の入学式のときも、よそのお母さんは皆着物で来ているのに、母だけは洋服で来ていたものです。母以外で唯一、洋服で来ていたお母さんに「洋服で来ている人がいてよかった。私一人だったら恥をかくところだったわ」などと声を掛けられても、母はそんなことを気にしている様子はまったくなく、微笑んでいました。
ほほえ母はタンスにいっぱい着物を持っていましたが、人がどうであれ自分が着たくなければ着ない人。当時小さかった私にも皆がやっている。
教育をさせたいのか。
子育てをしているのはもっぱ
持っている
という手は母には絶対に通用しないことを実感したものです。
素直になれた母との交換ノート親の言うことを素直にきく弟に比べ、私はよく親に反論をする子どもでした。自分の考えをハッキリ言う私はきっと可愛げのない子どもだったことでしょう。しかし母は頭ごなしに私を否定することはなく、いつも私の話に真剣に耳を傾け、あなたの考えのここは正しいけれども、ここの部分は間違っていると厳しく指摘したものです。

 

子供の性格

それでも私は簡単に引き下がるような子どもではなく、議論ののちには思ってもいないような憎まれ口をきいてしまうこともしばしば。言ったあとでなんであんなことを言ってしまったんだろうと反省をするものの、素直にごめんなさいと言えない子どもだったのです。
私の本心を見抜いていた母は、ある日ママと洋子ちゃんのノートと表書きされたノートを私に渡しました。そこには「あなたは口では反発ばかりしていても、本当はとても優しくて、思いやりのある子どもだということをママは知っています。でもあなたの優しい気持ちも言葉にしないと他の人には伝わらないものよ。あなたの本当の気持ちを書い
というような内容が最初に書かれてありました。
文章に書くとなると、私も不思議と素直になれました。
てね」
母は私の書いたものに対し、丁寧な返事を書いてよこします。
「親の言うことを素直にハイハイときく子どもがいい子だとママは思ってはいません。

子供に対して腹立たしい

あなたは一見育てにくい子どものように見えるけれども、それは自分の気持ちを正直に言う子どもだから。でもあなたはきっといい子になると思うわ。なぜなら、あなたの考えていることがわかるので、間違えた考え方や行動を教えてあげられるからよ親だって人間だもの、間違えることもあるわ。そのときは親でも謝らなければいけないと思うの。でも子どもが間違えたことをしたときは、注意をするのが親の役目。可愛い子どもだからこそ注意をするのよ。だからあなたも自分が間違えていたと気づいたときは素直に謝りなさい。間違いは誰にでもあるものだから」と。
よく叱られたものでしたが、
母は私が憎くて叱っているのではないことが小さな私によく伝わってくる叱り方でした。


子どもがそれをうらやましそうに見ています 勉強もしたらよい。 子供はベストを尽くしているのです。

父親はたいそう腕の立つ鍛冶職人

父親が坐る場所が決まっているかどうか尋ねたところ

私たちの子どもというのは、感情と意志を持った成長する生き物なのですから。これは単純明快な事実なのですが、このことを忘れてしまっている母親のなんと多いことでしょうか。
親しき仲に礼儀なし
のお母さんKさんは夫と二人でレストランを経営しています。レストランといっても都会風のしやれた店ではなく、昔からある大衆向けの洋食屋さんといったほうがいいでしょう。ホール係と皿洗いに人も雇っていますが、調理場は夫と二人だけで切り盛りしていますから、昼時と夜の七時頃の忙しさといったらありません。もうもうと煙の立つなかで、フライパンを振るっているKさんの姿があります。
Kさんは調理人として夫の大事な右腕であるだけでなく、二人の女の子のお母さんでもありました。長女のやす子ちゃんは、勉強のできるしっかりした子なのですが、背が低く太っている女の子でした。このことがKさんには気に入らず、いつもイライラのタネになっているようでした。
やす子ちゃんを連れて買い物中、同級生の母子連れに出会ったりすると、
幼稚園に入るときから有名

幼稚園へ行く

勉強はなるべく離した方がよい。

「お宅の子はいいねえ、スマートでさ。うちの子ときたひにゃぁ、この図体で。まったくやんなるよ」。
人前で母親にけなされて、やす子ちゃんも負けてはいません。何言ってんだよ。親に似たんだよ。娘に言われるまでもなく、Kさんは身長が一五0センチ足らずしかなく、しかもはちきれんばかりの胸と大きなお尻をしているので、ますます太って見えるのです。でもKさんは娘の言うことを無視して、さらにお前はよう、少しはやせる努力をしろよ
と追い討ちをかけるのでした。
やす子ちゃんの仲良し三人組とその母親たちで昼食を取っていたときのことです。お前はもう食うな。そのくらいにしておけよと、食べている最中のやす子ちゃんに向かってKさんが叫びました。


子どもに読み聞かせする
子どもに読み聞かせする

子供のタイプは千差万別である。

父親と違う何を子に語るべきお腹空いているもん、食うよと、気の強いやす子ちゃんは、いつものように母親に言い返します。まったく、ガツガツ食うと太るんだよ。お前はと、Kさんはぶつぶつ言っています。
なかすKさんは、よほどやす子ちゃんに太った子になってもらいたくなかったのでしょう。このKさんの願望が、Kさんの容貌に対するコンプレックスからきているのは、誰の目にも明らかなことですKさんはスマートになりたいという、かなわぬ夢をずっと持ち続けていて、せめて娘にはこの夢をかなえてほしかったのだと思います。
父親そっくりの男性と結婚することが多く教育をダメようぼう
きっぷのよさが裏目に娘に自分の言いたいことをポンポンと投げつけるKさんは、きっぷのいい姉御肌の人です。客あしらいもうまく、常連客とは丁々発止でやりあっていて、はたにいる者をいつも笑わせていますこうしたKさんの性格は客商売にはうってつけなのですが、母親としては子どもに言い過ぎになってしまうのは否めません。わが子に託す夢と自分の性格があいまって、子どもの欠点をあからさまに指摘するようになってしまいました。
デブで困るよ!もうそれ以上食うな!と母親から言われるときのやす子ちゃんが嬉しそうにしているはずがありません。かといって消え入るように小さくなっているわけでもありません。何ともいえない白けた表情で、母親に対抗するのですが、これができるのは、やす子ちゃんがもともと勝気な性格の子だからであって、気の弱い子なら劣等感を抱えてしまうところです。
娘が一方的に傷つKさんが言いたい放題の母親でも、けられるということは避けられたのでした。
やす子ちゃんの性格が幸いして、やす子ちゃんは母親の前ではやせる努力をしているように振る舞いながら、陰にでも、回って反対のことをする子になっていきました。

子供にどういう

やす子ちゃんと友だちの一人で夏休みの宿題の写生をするために、車で十分ほどの自然植物園に出かけたときのことです。運転の上手なKさんが二人を送っていったのですが車から下ろすときに「やす子、お前はスポーツドリンクを飲むんだぞ。ジュースは飲むんじゃないよ」と飲み物の指定をしたのです。うんとやす子ちゃんは答えました。
のど写生に飽きて、喉が渇いた二人が自動販売機で飲み物を買おうとしたとき、一緒の友だちは当然やす子ちゃんがスポーツドリンクを買うものと思っていました。でもやす子ちゃんが手にしたのは、お母さんに禁止されているジュースだったのです。
一時が万事で、やす子ちゃんは母親に隠れて自分の欲求を満足させるようになっていました。
母さんといっしょ


母さんがこのようにお父さんを立てていれば
母さんがこのようにお父さんを立てていれば

母さんの不用心な一言がきっかけとなるケース

その姿にはむしろ、言われたことはしないというはっきりした意志が潜んでいるように見えました。
思春期に言うことをきかない子
にやす子ちゃんは利発な子なので、Kさんは教育熱心な親でもありました。小学校三年のときから大手の進学塾に通わせ、地元では指折りの私立の女子校に合格させました。やす子ちゃんが中学生になって1年くらいたった頃でしょうか。Kさんは思春期のやす子ちゃんの対応に苦慮するようになったのです。
部活で遅くなっているものとばかり思っていると、帰りの遅いやす子ちゃんは、実は盛り場を遊び歩いている、ということがわかりました。しかも男の子とつきあっているらしいのです。問いただそうとすると、うるさい、ゴチャゴチャ言うな!と言うなり、自分の部屋に逃げ込んで、出てこようとしません。
この時期からやす子ちゃんの必死の抵抗が始まったのです。お母さんとは必要以上には口をきかなくなり、Kさんが例によってまくしたてても、知らんぷりで聞く耳を持ちませんわが子を
自分のものととらえがちな母親は、言えないようなことまでも平気で言ってのけます。

父親との思い出

成長したのでした。

子どもを自分の分身と考えて特別の感情を込めて

作りかけのキリンは幼稚園から帰ってくそのままにしておいてあげるからと言って、周りのブロックだけ片づけさせ、幼
稚園バスにはきちんと乗せればよいのです。
時計の針の位置を教える三歳の芳江ちゃんは、お友だちの奈保子ちゃんの家で遊んでいます。三時半になったとき、お母さんは芳江ちゃんにもうすぐ四時になるからお片づけして帰ろうねと言いました。芳江ちゃんはまだまだ遊びたそうな顔をしていましたが、四時になったときお母さんに時計を見せられて四時になったもの、お約束よねと言われると、お片づけを始めて帰る支度をしました。
奈保子ちゃんのお母さんもよその家にお邪魔したとき、最近では芳江ちゃんのお母さんまねのやり方を真似ています。というのは、帰るのを嫌がって五時過ぎまでいるお友だちもいかるのですが、そんな親子に限っておもちゃは散らかしっぱなし、そんなときは夕飯、お風呂が遅くなって一日のリズムが狂ってしまうので、くないと、常々思っていたからです。
母親の存在は非常に大きなものと言えるのです。

子どもは育たないのだ

子どもに問題行動が生ずることさえもあります。

自分はよその家にあんな迷惑をかけた芳江ちゃんのお母さんは、幼稚園へ行く八時半とお昼の十二時と夕方四時を芳江ちゃんに教えていました。最初はおもちゃの時計で、針の位置を教えました。
八時半はちょっと大変でしたが、おもちゃの時計をあらかじめ八時半にしておいて、本物の時計が八時半になると「ほら、こっちの時計と同じ八時半になったでしょ。幼稚園へ行こうね」と、繰り返し教えているうちに芳江ちゃんは覚えたのです。夜、床に就く時刻も八時半なので、好都合でした。
十二時を教える前には、お腹が空いたまだ食べたくないという芳江ちゃんの気分に左右されて、お昼ご飯が早くなったり遅くなったりしていました。


子どもの気持ちに即座に応えていれば
子どもの気持ちに即座に応えていれば

勉強家のお父さんがいる。

子どもは九時大人はそれ以上起きていてけれど、十二時を教えてからというもの、芳江ちゃんは多少お腹が空いても待てるようになりましたし、十二時になるとお昼ご飯だと、自分からテーブルに座ることもありますこのように、一日の生活リズムを守るために大切な時刻を、子どもにわかりやすく教えておくと、約束事としての時間のルールを理解できるようになります。理解できるようになると、お母さんにいちいち言われなくても、子どもが自分で気づいて行動することができるようになるのです。子どもは母親が思っているよりも、はるかに理解力があるのです。
時にはルール破りの楽しさをルールがあるからこそルール破りの楽しさがある1さんはとても身体が弱く、二人の子どもをしょっちゅう外へ連れ出して遊ばせることはできませんでした。
父親はたいそう腕の立つ鍛冶職人子どもの持つ底知れぬ力発展性に驚愕しました。でも、絵画教室で子どもを教えていた経験から、子どもたちのエネルギーをうまく発散させることが必要なことは知っていました。
そこでスペースが広くとれる壁に大きな模造紙を貼って、そこだけにはクレヨン、サインペンで何を描いてもよいということにしました。ですから、雨が降り続いたり、1さんの身体の調子が悪い日には、子どもたちの絵でいっぱいになった模造紙の上に、さらに何も描かれていない模造紙が貼られるのでした。
少し大きくなると、椅子に登って高いところに描いてもよいことにしました。子どもたちにとっては、それがまた大きな楽しみになりました。絵を描くというより、椅子に登ったり降りたりして、自分より大きな紙に色を塗ったり、線を引いたりするだけでもワクワクするのです。

育てるくわすき

もちろん、1さんは
それはおかしいわ、こう描いたらいいんじゃない?というようなことは一言も言いません。
一度、子どもたちが決められた壁以外の壁に絵を描いたとき、1さんはビシッと叱りました。それ以来子どもたちは、その模造紙が貼ってある壁以外の壁にイタズラ描きをするようなことはしなくなり、模造紙が貼っていないときは、自分たちからお母さん、紙貼ってと言いに来るようになりました。
父親そっくりの男性と結婚することが多く


母さんが病気のとき
母さんが病気のとき

勉強するべき時に一生懸命努力しておけば

もし、これがどの壁にも描いてよいということでしたら、子どもたちは描いていい壁の前に立ってもワクワクするようなことはなかったでしょう。本当は壁に描いてはいけないというルールがあるからこそ、紙が貼ってあるこの壁だけはよいことが特別なことになるのです。そして、単なるイタズラ描き以上の心持ちで、その壁の前に立つことになるのです前の日の模造紙がそのまま貼ってあるときは、その絵を前にして、子どもたちがたどたどしい言葉でいろいろ絵の説明をしてくれることもありました。ーさんも子どもたちの絵から、何となく子どもたちの心の状態がわかったし、その模造紙が貼ってあるだけで、親子の心の交流ができたのです。
どの壁に描いてもよいとしたら、親子の心の交流どころではありません。

経験をしたの。

子どもと過ごす時間の少なさを埋めあわせよう

母さんがいてもいい

そう思えたのはきっと、母が私の話を必ず最後まで聞いてから、私の意見に反論したり、叱ったからだと思うのです。
小さいうちは厳しく、大きくなったら子どもに責任を不思議なことに、小学校三年生の頃から私の性格は一転しました。わがままだった私の性格は、子どもの言いなりにならない母によって徹底的にしつけられ、素直になれない性格は、母に受け入れられることで、心を開くようになったのですそしてその頃から、今まで厳しく私をしつけてきた母も一転しました。

  • 教育になると思うのにたしかに男
  • 先生から親が叱られると。
  • 母さんも知らないふりをして一緒に調べるのです。

体験を持っています。よほど悪いことでない限り、私のやることにあまり口を出さなくなりました。私が失敗することが予測できても、あえて口を出さず我慢をしていたようです。母の忍耐力には今でも感心させられます。さらに自由とは常に責任が伴うものであるということを教えてくれました。
やるからには最後まで自分で責任をとりなさい。それができないのであれば、やってはいけなと動物園に行きたいと言う弟を、私が代わりに連れて行ってもよいかと頼んだときも母は二人とも最後まで頑張れるんだったら、行ってみなさいと許してくれたものです当時、私は小学校二年生、弟は幼稚園の年長児で、自宅から動物園まではバスと電車を使って四十五分くらいの距離でした。学校のものと通信

 

母さんの中にはバーのホステスがたくさんいるのです

母は交通費プラス多少のお昼代と、「何かわからないことがあった場合は、周りの方に教えていただきなさい」という注意を与え、私たちの姿が見えなくなるまで見送りました。
動物園ではご機嫌だった弟も、帰る頃になると眠くなったせいか、露店で売っているおもちゃが欲しいと駄々をこねます。残りのお金は帰りの交通費しかないと話しても、言うことをきかない弟。しまいには泣き疲れて眠った弟を背負ってモノレールの最終地点から上野駅までの間を歩くはめに。
子どもも親を信頼
子供にとって耐えられる限界を超してしまう。
重くて自分が泣きたいところでしたが、母がよく言っている自由には責任が伴うという言葉を思い出して、なんとか家まで帰ったのです。無事に帰ってきた私たちを母はとても誉めてくれたので、私は自信と達成感を覚えたものでし六ほおしゃれに興味を持ち始める小学校五年生の頃には、私は自分の服を自由に買わせてもらえるようになりました。最初に一人で洋服を買いに行ったときのことは、今でもよく覚えていますが、母は私に「これで自分の好きな服を買いなさい。ただしこれ以上は絶対にあげないから、よく考えて買いなさいね」と1万円をくれました。当時、アイドル歌手が
着ていたハマトラというスタイルが流行しており、ロシャツとハイソックスを買って帰りました。

 

大学行ってサラリーマンになって

私はハマトラスタイルのスカートとポ初めてにしては上出来ね
買ってきたものを見せると笑っていました。
と母はケチをつけることもなく人間って不思議なもので好きにしなさいと言われると、そう道を外さないものなのか、私は母に自分で決めなさいと言われるほど、母を裏切るようなことはすまいと思ったものです。
母になっても修業中母は人の話を本当によく聞いてくれる人でしたが、進路や就職、結婚について相談しても、自分の道は自分で決めなさいと言って、最終決断は私自身にさせるように仕向けました。参考意見は述べてはくれるものの、自分の意見を私に押しつけるようなことはありませんでした。

父親として環境を整えてやるようにしたい。

私が念願のマイホームを購入したときも、母に相談をしたところ、相変わらずはあなたたちだから、自分たちがよいと思うのならばいいんじゃないとの返答。

住むの私は誰かに背中を押してもらいたかったので、正直言って母の返事には不満でした。
入居後に物が入ると狭い!と言った私に、母は私だったらマンションは買わないわと一言。そう思ってるのなら、なぜ買う前に言ってくれないの!と私は本気で腹が立ったものです。母は「だって私とあなたは状況も価値観も違うのだから、あなたたち夫婦がいいと思ったものに口出しするべきではないからよ。それに人の意見に左右されて買った場合は、何か気にいらないことがあると人のせいにするものよ」とピシャリ。
私は腹の虫が収まらず、親友にグチをこぼすと、彼女が相変わらず、お母さんは凄いねーと母の肩を持つので驚きました。
うちの親は子どもを信頼していないのか、今でも親の意見を私に押しつけてくるわよ。お母さんは今でも、自分のことは自分で決めて責任をとるようあなたを鍛えているのね。あなたはまだ修業中なんだ!


学校のものと通信 子供たちと接触する時間が少なかったのです 子どもと過ごす時間の少なさを埋めあわせよう