伸びていなかったのです。

子どもがいる

ささいなことにカッとなり、どなったり、ひっぱたいてしまったり。子どもを泣かせないと気がすまない、泣き声がうるさいとさらに腹が立ってくる。あとで冷静になって考えてみると、子どもは悪くないのに自分の感情をぶつけていたことに気づき情けなくなるけれど、また同じことを繰り返してしまうのですこういう人は、家の外で活動すること。子どもと離れてはつらつと働く時間を持つことで、子どもにもよりよく接することができるようになるでしょう。
手記*母から受け継いだ子育てエネルギーの源は愛されている実感
あなたのエネルギーの源は何?とよく聞かれるのですが、私の場合は愛されているという実感です。特に母親の無償の愛ほど、子どもに生きる力を与えるものはないと思っています母は私を心から愛してくれました。

  • 子供の人格ば
  • いじめの問題
  • 子どもはわがままになるだけでなく

幼稚園児と彼らにすっかりなめられている感謝しきれないほどもらった深い愛情を、が子どもたちに伝えていくことが、母への恩返しだと思っています今度は私幼い頃の私は、自分の主張を通そうとするわがままで気の強い性格でした。母は
あなたの悪いところは小さい頃に徹底的にしつけて直したと今でも口癖のように話しますが私は生まれてから小学校三年生頃までずっと反抗期だったようで、この時期まではかなり厳しく育てられたものです。
母は確固たる自分の考えを持っている人で、自分の気分や都合で子どもを叱ることはありませんでした。しかし、ダメ!ということは、子どもがどんな手を使っても、決して許しません。皆が持っているから、私にも買ってと駄々をこねても、母の答えはいつも同じ。皆って誰と誰なの?子どもがそれをうらやましそうに見ています

 

先生方のお話を伺って私は実に仕合わせだと思った。

00ちゃんも、OO君もと懸命に話すのを最後まで聞いた後で、皆が持っていたとしても人は人。自分は自分とサラリと返すのです。頭ごなしに話すのではなく、子どもの言い分を聞いたうえで的確な判断をする母でした。皆が持っているという子どものおどし文句にもまったく反応しません小学校の入学式のときも、よそのお母さんは皆着物で来ているのに、母だけは洋服で来ていたものです。母以外で唯一、洋服で来ていたお母さんに「洋服で来ている人がいてよかった。私一人だったら恥をかくところだったわ」などと声を掛けられても、母はそんなことを気にしている様子はまったくなく、微笑んでいました。
ほほえ母はタンスにいっぱい着物を持っていましたが、人がどうであれ自分が着たくなければ着ない人。当時小さかった私にも皆がやっている。
教育をさせたいのか。
子育てをしているのはもっぱ
持っている
という手は母には絶対に通用しないことを実感したものです。
素直になれた母との交換ノート親の言うことを素直にきく弟に比べ、私はよく親に反論をする子どもでした。自分の考えをハッキリ言う私はきっと可愛げのない子どもだったことでしょう。しかし母は頭ごなしに私を否定することはなく、いつも私の話に真剣に耳を傾け、あなたの考えのここは正しいけれども、ここの部分は間違っていると厳しく指摘したものです。

 

子供の性格

それでも私は簡単に引き下がるような子どもではなく、議論ののちには思ってもいないような憎まれ口をきいてしまうこともしばしば。言ったあとでなんであんなことを言ってしまったんだろうと反省をするものの、素直にごめんなさいと言えない子どもだったのです。
私の本心を見抜いていた母は、ある日ママと洋子ちゃんのノートと表書きされたノートを私に渡しました。そこには「あなたは口では反発ばかりしていても、本当はとても優しくて、思いやりのある子どもだということをママは知っています。でもあなたの優しい気持ちも言葉にしないと他の人には伝わらないものよ。あなたの本当の気持ちを書い
というような内容が最初に書かれてありました。
文章に書くとなると、私も不思議と素直になれました。
てね」
母は私の書いたものに対し、丁寧な返事を書いてよこします。
「親の言うことを素直にハイハイときく子どもがいい子だとママは思ってはいません。

子供に対して腹立たしい

あなたは一見育てにくい子どものように見えるけれども、それは自分の気持ちを正直に言う子どもだから。でもあなたはきっといい子になると思うわ。なぜなら、あなたの考えていることがわかるので、間違えた考え方や行動を教えてあげられるからよ親だって人間だもの、間違えることもあるわ。そのときは親でも謝らなければいけないと思うの。でも子どもが間違えたことをしたときは、注意をするのが親の役目。可愛い子どもだからこそ注意をするのよ。だからあなたも自分が間違えていたと気づいたときは素直に謝りなさい。間違いは誰にでもあるものだから」と。
よく叱られたものでしたが、
母は私が憎くて叱っているのではないことが小さな私によく伝わってくる叱り方でした。


子どもがそれをうらやましそうに見ています 勉強もしたらよい。 子供はベストを尽くしているのです。

子供はベストを尽くしているのです。

子供というものはどの子も一様

自分の感情に任せて、他人にはとてもその言葉に傷つかない子どもはありま
せん。
やす子ちゃんのように気の強い子には、悪影響が少ないように見えても、どんどん親に対する反発がつのっているのです。
心のなかでは言いたい放題のお母さんはわが子の信頼を際に失っていて、その重要性に気づかされるのはわが子が思春期になったときなのです。たとえ自分の子であっても、何を言っても許されるというものではありません。こういうお母さんは子どもに何か言う前に、これと同じことを私は友人に言えるかな?と、一瞬立ち止まって考えてほしいのです。

親子の楽しい関係づくりのために

大切なのはルールづくりしつけには一貫性が必要混乱したしつけは子どもに不信感を植えつける人間は目上の人からいつもいいと言われていることを、あるとき理由もなく突然ダメと言い出されたら、誰でも混乱し、相手を信用しなくなってしまいます。
成長したのでした。

母鳥はなかなかひな鳥のところへ行こうとしません。

子供の家庭

子どもが親の
言うことをきかなくなる理由にはさまざまありますが、そのなかのひとつにこんなふうに首尾一貫しない親の姿勢があります。そして不思議なことに親はそのことに気づかず、うちの子はほんとに言うことをきかなくて……と、ただ嘆いていることが多いのです子どもが心理的に安定して暮らすためには、親を愛すると同時に信頼することが必要です。そのためには、親は本当の意味での権威を持っていなければなりません。
権威というと何だか難しそうですが、ごく簡単なことなのです。それは家庭のなかで首尾1貫したルールをつくり、皆がそれに従うということ、そしてそれをぐらつかせないということにすぎません。


高校生ぐらいの時期にあってもいいと私は思う。
高校生ぐらいの時期にあってもいいと私は思う。

母親とのかかわ

母親の考えと全く同じではないだろうか。必要なしつけの首尾一貫性では、どんなしつけが首尾一貫しているのか、と思われるでしょうが、るものでなければ、各々の家庭で違っていてかまわないのです。
道徳に反すごはんの前にいただきますと手を合わす家庭があってもいいし、合わせない家があってもいい。パパが出かけるとき、帰ってくるとき、家族一同が玄関で送迎する家庭があってもいいし、ダイニングキッチンでパパがじゃ、行ってくるよとだけ言って出かけてしまってもいい。
子供は自分がこうすれば先生が能力のあるスーパーでの買い物で、日を決めて子どもにお菓子を選ばせるお母さんがいてもいいし、お菓子は絶対に買わないと決めていたっていい。
もちろん人の道に反すること、他人をいじめたり、汚い言葉でののしったり、無意味な暴力をふるったりすることは、家庭によって違っていてもいいという問題ではありません。人間として許せないことは、どんな家庭においても同じようにいけないのです。しかしそうした大きな問題もさることながら、子どもの心に親の信頼を打ち壊す役目を果たすのは、一度決めたルールを親の気分や世間体で勝手に破る場合なのです。
しか他人様の前だと、いつもは叱られることも叱られない。逆にいつもは叱られないことを叱られる。こうした親の無意識のルール違反を、子どもはいち早く見てとって、無言のうちに不信感を高めたり、親の弱みを握って

先生だって間違えることはあるしお父さん

「こうすればお母さんがいつもダメ、と言ってることもできるんだよな」と考えるようにもなってしまいます。
親自身がルールを守ること。
と首尾一貫していること。
いけない.何よりも大切なことは、いいことはいつもいい
いけないことはいつもそのためには逆に、いつもダメ、ダメという禁止ばかりでなく、ある程度のゆとりをもって、ここ一番というときだけ絶対に動じない、ということが必要かもしれません。
子供は自分がこうすれば


先生にはそれくらいの格式があった。
先生にはそれくらいの格式があった。

いじめつ子

完全主義のお母さんで、首尾一貫はしているけれど、禁止ばかり多くて子どもは息がつま
りそうというのでは、いつか反動がくることは避けられないのですから。
赤ちゃんを甘やかさない横行する泣いたら抱っこ
生まれたばかりの赤ちゃんは、何らかの不快感を訴えて泣くものです。どこか具合が悪い場合もありますが、たいていはおむつが濡れているか、お腹が空いているかのどちらか。
まだおっぱいを上手に飲めなかったり、母乳がよく出なかったりで、頻繁に泣くこともあります。その場合は何度も何度も飲ませることが一番ですから、泣いたらとにかくおっぱいをあげるというふうになるのも自然なことでしょう。

子どもにとって必要にしてかつ有益なものだ